最近、親のことが少ししんどい?
最近、ふとした瞬間に
「親のことが、少ししんどいかもしれない」そう感じることはないだろうか。
はっきりとした理由があるわけではない。
嫌なことをされた記憶があるわけでもない。
それでも、会ったあとの疲れや、胸の奥に残るざらつきが、どうしても消えない、とういうことが増えてきていませんか?
大人になるにつれて見えてくる親の姿
子どもの頃や学生時代には、そんなふうに思ったことはなかった。
けれど、社会に出てさまざまな人と関わり、仕事や人間関係を経験し、知識や価値観が広がっていく中で、ふと親の言動に疑問を感じることが増えてくる。
あるいは、自分自身が家庭を持ち、親になる。
義理の親と接するようになる。
そうした経験を通して、「あれ? もしかして自分の親って、少しおかしいのでは?」と疑問を感じ始める人もいる。
また、親が年をとり、以前より頑固になったり、もともと親の欠点だった部分がさらに強くなったり、時代に合わない考え方を強く主張するようになったりする。その変化に違和感を覚えることもある。
「毒親」ではないからこそ、苦しい気持ち
最初は「なんとなく苦手」くらいの感情だったものが、時間とともに悪化していく。
嫌悪感に変わり、やがては「嫌い」「顔も見たくない」「世話もしたくない」という気持ちにまでなってしまうこともある。
しかし同時に、親に対してそんな感情を抱く自分自身に、強い罪悪感を覚えて苦しい日がある。
苦しんでいる人たちの親は、幼少期から暴力や暴言を繰り返したり、ネグレクトをしたりする、いわゆる「毒親」と呼ばれる存在ではない。
きちんと育ててもらい、学校にも通わせてもらい、生活に困ることもなかった。
だからこそ、余計につらい。
学校やお稽古ごとに行かせてもらったこと、必要なものや欲しいものを買ってもらったこと、住む場所や食事に困らずに育ててもらったこと…
親への感謝の気持ちは、確かにある。
それでも、いつの間にか「感謝」よりも「違和感」や「嫌悪感」のほうが大きくなってしまう。
親への感謝 < 親への違和感・嫌悪感
この感情のギャップに、多くの人が静かに苦しんでいる。
この苦しさは、なかなか人に理解されにくい。
「育ててもらったんだから仕方ないよ」
「親なんだから多少は我慢しなよ」
「なに不自由なく育ててもらったのにわがまま」
そんな言葉を向けられたり、そんな風に思ってしまう自分に「自分がおかしいのではないか」「心が狭いのではないか」と、自分を責めて悩み、苦しんでしまう。
でも、この違和感には理由がある。
親が悪意を持って傷つけてきたわけではなくても、
親自身の価値観や未解決の問題、不器用さ、親と子供との経験値の差が、結果として子どもを苦しめてしまうことはある。
ある知人Aさんのケース
母親の学歴コンプレックスからくる子供の過剰な自慢
知人のAさんも大人なってから親の言動に苦しむその一人。
Aさんの母親は、高校を卒業し2~3年働き、その後、専業主婦となった。
高卒というのがコンプレックスらしく、教育熱心でAさんが幼少の頃から、決して裕福ではなかったけれど、公文や塾に行かせてもらい大学を卒業し、さらに海外留学もさせてもらった。
現在は、留学で身に着けた語学力をいかし外資系企業で着実にキャリアを積み上げている。
Aさんは教育熱心だった母親に疑問を感じることもなく、現在のキャリアがあるのは、自分の努力もあるけれど、母親が大学や留学させてくれたおかげである、とむしろすごく感謝していた。
しかし、Aさんが着実にキャリアを積み上げていくこと、母親はAさんが大学や留学に出したこと、Aさんがバリバリと働いていることが母親の全てになってしまった。
Aさんが海外出張へ行くたびに近隣の人に「Aは今は○○へ行っている」「来月は××に海外出張に行く」などと自慢するようになってしまった。
Aさんが帰国し実家に帰ると実家の近隣の人に「Aちゃん、また海外へ行ってたんだって。お母さんが言っていたわよ。忙しくて大変ねー」などと、少し嫌味ともとれる言われ方をしてAさんも困ってしまっている。
防犯面も含め近所に海外に行っていることを言わないで欲しい、と母親に言っても「別に事実なんだからいいじゃない」と悪びれる様子もない。
また、母親から友達の集まりがあるから海外のお菓子を買ってきて、などと言われる。遊びで行っているいるわけではないので、買い物に行く時間がなかったり、仕事が延びてギリギリに空港に行きお土産を余裕がなかったり、疲れて面倒くさいこともあるが、集まりの時に友人にお土産をふるまいながら母親がAさんの自慢しているが想像すると嫌悪感を感じてしまうそうだ。
何年もその状態が続き、Aさんはだんだんと実家に帰る足が遠のいてしまった。お土産を頼まれても忙しくて時間がなくて買えなかった、などと嘘をつくようになってしまった。何かと自分を自慢する母にいら立ちを感じつつも嘘をついている自分にも罪悪感を感じ葛藤している。
親との向き合い方に正解はない
親に感謝していることと、親との関係に違和感を覚えることは、同時に存在してもいい。
どちらか一方だけを選ばなければならないわけではない。
「親を嫌だと感じてしまう自分」を、無理に否定しなくていい。
それは冷たい人間だからではなく、自分の心を守ろうとする自然な反応なのかもしれない。
この感情にどう向き合うか、距離をどう取るかは、人それぞれだ。
大切なのは、「親だから」という理由だけで、自分の気持ちを押し殺し続けないことだと思う。
では、親への違和感や嫌悪感に、私たちはどう向き合えばいいのだろう。
「親を好きでいなければならない」という思い込みを手放す
まず大切なのは、「親を好きでいなければならない」「感謝し続けなければならない」という思い込みから、一度距離を置くことだと思う。
親子関係であっても、そこに生まれる感情は人間関係の一つにすぎない。
感謝している部分がある一方で、傷ついた記憶や受け入れがたい価値観がある。
その両方を感じることは、矛盾でもわがままでもない。
次に、「分かってもらおう」としすぎないこと。
大人になってから親と向き合うとき、
「こういうところが嫌」
「もう少し違う言い方をして欲しい」
「もっとこうして欲しい」
「今はそういう時代じゃないから」
そう伝えたくなる人も多い。
けれど、親が必ずしも理解してくれるとは限らない。
親自身が自分の価値観や生き方を疑わずに生きてきた場合、こちらの言葉は否定や反論として返ってくることもある。
分かってもらえないたびに傷つき、「やっぱり自分が間違っているのか」と苦しくなるなら、無理に理解を求めない選択もあっていい。
そして、親と「距離を取ること」を悪いことだと思わなくていい。
親も人。自分とあう人、あわない人がいて当たり前。
まして、生きてきた時代も学校も会社も経験も親と子供は違う。
ある程度の年齢になったり、ある程度離れて暮らすようになったら赤の他人と一緒ぐらいの気持ちで接しても良いとわたしは思っている。
会う頻度を減らす、連絡の回数を少なくする、話題を選ぶ。
それは絶縁でも拒絶でもなく、自分の心を守るための調整だ。
親を大切に思うからこそ、近づきすぎない方がうまくいく関係もある。
親でもほど良い距離間はお互いのためになる。
今の自分が楽でいられる関わり方を選ぶ
最後に、いちばん大切なのは、
「自分がどう感じているか」を、なかったことにしないこと。
親に育ててもらった事実と、親との関係がつらいという感情は、同時に存在していい。
どちらかを消そうとしなくていい。
親との向き合い方に、正解はない。
許すことがゴールでもなければ、仲良くすること、親孝行が義務でもない。
今の自分が、少しでも楽でいられる距離や関わり方を選ぶこと。
それは逃げでも冷たさでもなく、大人としての選択なのだと思う。
そして、あなたと同じように苦しんでいる人は案外多い。
分かってもらえる人がいるなら、その人に聞いてもらおう。
もし、身近に話せる人がいなかったら、わたしに話して。


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